第2話「当時の記事を振り返って今思うこと」
前回の【第1話ATを目指したきっかけ】(前編)に続く今回は『後編』です!
ややこしい
こんにちは!
AT(アスレティックトレーナー)、別名傷害予防士(造語:商標登録済)の小野です!
前回の記事(2016年)を踏まえ、2022年現在の僕が思うことを、つらつらと綴っていきたいと思います。
※前回記事をまだ読んでいない方は、是非前回の記事を読んでいただけると幸いです。
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【ATを目指したきっかけ】と題して綴った当時の僕、かつて高校ATとして活動していて、当時から『国内AT普及』を念頭に活動していたという『想い』の面で考えると、月日が経てども変わらない根っこがここなんだなと気づきます。
何事もそうだと思うのですが、『目的』や『ゴール』の形は大きく変わることはなくって、その途中にある『手段』がコロコロ変わることはわりと結構あるもの。
前回記事を読んで、改めて自分自身への感想は
『変わらねぇな!お前は!』
です。笑
ここだけの文字を切り取ると、成長してないとも取れるのですが、当時と今とで比較して、明らかにパワーアップを実感している僕は、『変わらないもの』と『変わったもの』の2つの視点があるなって思っています。
【変わらぬものは想い】
当時は漠然と『AT普及』と言っていた気がします。ただ、どうして普及したかったのか?そこの想いは、きっかけであった僕自身の体験(ケガによる後悔)があったから。過去の実体験というのは、普遍的なものですよね。未来はまだ起きぬ事象ですから、いかようにも変えられる要素がありますが、過去ばっかりは変えられない。強いて言えば、過去の事象に対する受け止め方を変えるくらいでしょうか。
ところが、僕はどんなに月日を経ても、当時感じた想いだけは、忘れられない感情として色濃く残っている。受け止め方を変えることもできていない。
なぜか?
多分、自分なりに思うのは、
それだけ
『悔しかったから』
なんだと思うんです。
悔しいもんは悔しいでしょうよ!
です。
物事への捉え方は十人十色。
ある人にとっては小さなことでも、自分にとってはとてつもなく大きな出来事ってのが、あるもんです。自分の人生は、自分が主人公です。他人と比較してどうのこうのではない。自分自身がその時どう思ったのか?どう感じたのか?かけがえのない大切な自分の感情です。
それぐらい悔しかったこと、それが『ケガによる後悔』だったんだなぁと改めて思います。
最近の僕は、AT活動する際に相手へ『ケガによる後悔をさせないように』って言葉をよくお伝えするのですが、もしかしたら、それは相手へのメッセージなのではなくって、自分自身に対するメッセージを言い続けているのかもしれないなって思えてきました。
どれだけ言っても自分の後悔が消えることはないけれど・・・。
どうやっても過去には戻れない。
あの日、あの時の悔しさは、どうやったって解消されることはない。
どうしようもないことに対してずっとその想いだけが募ってしまい、気づいたらその想いを他の人にも味わわせたくないという考えに至っての今なんだろうなと、
それが傷害予防士小野勇太という人間なんでしょうね。
小野はこうゆう人間だ
『悔しい』とか『後悔』ってのは、気持ちや感情の話、つまり『心』の話です。
そのせいもあってなのか、僕はATとして活動するようになってから、最も重要視している視点があって、まさにそれが『相手の心』を捉えるということでした。
心を捉えるというのは簡単ではありません。
未だに研究中で未完成の能力
表面的には明るくて、一見元気に見える人であっても、実は深い悩みや苦悩で追い込まれている人がいます。決して外に出さずに、自分の中に中に閉じ込めて。
そうした人が、一生懸命に物事に取り組んでいるうちは心身共に健康を維持できる(単に気づいていないだけかもしれない)けれど、ふとしたことがきっかけで、ガタガタと崩れ落ちることがある。
そのきっかけに多いのが、『ケガ』だと僕は思っています。
少なくとも僕自身はそうでした。
それだけケガって厄介
心が崩れると、いいことが何一つないんじゃないか、ぐらいに思っている程に影響力のあるのがケガなんじゃないかな。
僕自身のその考えが根底にあるから、ケガさせたくない、つまり『予防させたい』という想いが生まれたんだと思います。
そんな予防活動では、相手の『心が整っているか』を常に見るようになりました。
心、つまりその人の思想・思考・感情、そこが一つの偏った方向に傾くことなく、安定している状態であるかどうか。それが乱れると、容易に崩れる、あるいは、倒れるので。
逆にそこが整う・安定すると、不思議なもので、その後は芋づる式に良いことが連鎖しやすくなっていくと僕は考えていて、実際に関わる相手を見ていて、そうなっていくのを見てきた経験が多数あります。
心が乱れるとうまくいかない、そして乱れた状態でうまくいかない状況を迎えると、さらに崩れてしまい心身共にボロボロになってしまう。
逆に心が整っていると、仮にうまくいかない状況を迎えたとしても、受け止め方が変わって、現状認識や現状打破がとてもスムーズとなる。
それくらい、心の状態って、人として重要な基礎、基盤、土台なんではないかって思っています。
僕はその基礎、基盤、土台を整えることで、あらゆるケガ(肉体的なものだけでなく精神的なものも含めて)を予防する専門家、傷害予防士(AT)でありたいと思っています。
『心』がテーマとなっているAT(予防)活動では、心を研究し続けてきた結果、心とは単に『脳』の話であると理解が深まってきています。
脳の構造や機能を紐解くことで見えてくるのが『心』なのかなって、今は思っているんですね。
なので、僕は脳の話がとっても好きです。
機会があったら、これを読んでいる貴方とも脳の話で熱く語りたいところですね(笑)
止まらなくなりそうなので覚悟しておいてください(笑)
ずっと変わらないもの・・・・
それは僕自身の『後悔の想い』です。
【変わったものは状況・立場・行動・仲間の存在】
変わらないものがある一方で、変わったものがあります。
それは当時(2016年)は高校ATという立場でしたから、対象が高校生という枠で物事を捉えていました。
現在はその職場を離れて、個人事業主として自分のATルームを作ったところ。
このATルームの対象者は、高校生の枠を超えて、『一生懸命に生きる人みんな』が対象です。一生懸命な人とは、何か目的を持っている人!それだけでいい。
僕の目的は、相手の目的地へ到達するまでのサポート役ですからね。
高校ATの頃より、対象の幅が広くなったお陰で、当時よりも思考の幅も広がっているところは変わった点だと思います。
当然、いる場所が変われば、立場も行動内容も変わってくるもんです。
・同じ場所だからこそできるものがある。
・同じ場所だからこそできないことがある。
僕は前者のメリットより、後者のデメリットを恐れて、外に飛び出してみたというのが本音です。
高校ATをしていた当時から、高校AT普及するには『高校』という枠組みで捉えていては返って目的達成が遠のくのでは?っという考えに至ったんです。
変なことを言うようですが、僕が今活動していることというのは、当時の僕が行いたかったこと『高校ATの普及』の延長線上にあることであって、目的が変わったわけではないということですね。
スポーツの大会で例えると、県大会優勝を目指していた人が、日本一目指すことにした、みたいな感じです。
つまり、日本一になるには当然県大会優勝もしていないとそのゴールには辿り着けないじゃないですか。
高校AT普及という目的も大層な目的と捉えていたのですが、結構難しい課題を実感していた僕は、どうやったら課題解決(目的達成)が近づくか考え抜いた結果、
ゴール設定をより遠くへ設定する!という結論に至ったわけですね。
今課題と捉えている内容は決して大きなものではない。
近くで見ているから大きく見えるのであって、視点をずらして、目的地をもっと遠くにする。
視点を変えることによって、果てしなく遠いゴールに比べたら、今まで考えていた大きな課題と思えたことが、単なる通過点の一つに過ぎないことになります。
するとまぁ不思議なもんで、ずっと課題解決の案が思い浮かばないところが、
なんだ、通過点か、難しく考える必要もないな。
だって、通過点だし。っというなんとも乱暴な発想で、物事の捉え方を変えることができる。
『できそうな気がする』って思えてしまえば、案外人間というのはかなりの能力を秘めているんじゃないか?というのが僕の仮説です。
思い込みの力ってなかなかあると思っているので。
思い込みって、言い換えれば、『信じる』こととも言えると思います。
『信じる力』
これが高まれば、いける気がするんですよね。なんとなく。
根拠はありません。なんとなくです!ただ、そのなんとなくでも、いける気がするのは、すっごく大切な力なんじゃないかなぁ。
できそう!って思うのは、想像の世界なのかもしれないけれど、
想像できたことは、諦めずに続けたら現実世界において創造できるんじゃないかって、本気で思っているのが小野という人間です。
過去の自分の文章を見ていて思うのは、当時考えていた未来に近い状態に、僕は進化しているように思えてならないんですね。
今は正直、前職を離れてから個人事業として決してうまく行っておりません。赤字赤字、大赤字の連続です!
堂々ということではない
ところが全くもって変わらないのが、前述した『想い』の面です。
諦めていないんですよ。
信じているんです。
今うまくいかないことなんて、未来の目的達成時点を想像すれば、所詮は『過去の大変だった頃の思い出』くらいになってるもんです。多分。
僕は目的地に到達するまで辞めない、止まらない、諦めないがモットーです。
僕の目的地は遠すぎるんですけどね(笑)
ゴールは果てしなく遠い
人生1回で足りませんよ、ほんと。
でも、そこへ到達したいと思ったのは自分なので、コツコツと進んでいる日々でございます。
そして、そんな僕にとって最も重要で、かつ、過去の僕と大きく変わったもの、
それが
『仲間の存在』
です。
場所が変わって、行動が変わったのが大きな要因だと思うのですが、
関わる人が変わることで得られた大きな価値はそこでした。
環境を変えたら、それまでとは異なる層の仲間との出会いがあった。
目的地に到達するためには、いろんな『資源』がどうしても必要になると思います。
モノ、カネ、情報、そして、何より・・・
人です。
それも、人は誰でもいいわけじゃない。
仲間と言える人が大切なんじゃないかって僕は思うんです。
僕にとっての仲間の定義はシンプルで、
僕を応援してくれる人はそれだけでもう仲間です。
勝手に仲間扱いしてすみません
でも、そうじゃないですか。
僕はただただ、想いを毎日なんらかの形で発信しているのですが、それを見て、ちょっとでも背中を押そうと応援してくれたのですから。
共犯者みたいなもんです!笑
それは僕の進みたい道(目的地までの道)を進む小野を、後押ししているということ。
その分、僕は目的地へ辿り着く時間や距離が短縮されるわけですよね。
こんなにありがたい話はないです。
これを仲間以外のなんだというのでしょう。
同じ目的地を見て、同じベクトル方向に力を加えているわけです。
敵のはずがない。
味方である。
そして、そんな味方は仲間である。
僕はそう思っています。
僕は現在クラウドファンディングを実践しているのですが、ここで見えてきた仲間の存在に、大きく大きく背中をプッシュされているところ。
過去の僕には、今の僕の状況は想像できていないだろうな。
当時の僕に伝えたい言葉があるとすれば、
「君の想いは今も継承しているよ!これから色々と嫌な体験もあるけど、今の僕が言えるのは、それでも今の自分を全く後悔していないんだ。そして、尚今も君と同じ想いで前へ進んでいるから、そのままそのまま頑張れ!大丈夫!!」
って言いたいですね。
それなりに苦悩の時期があった
このブログを綴っている今は1人ですが、この文章を綴っている今現在も、なんだか後ろに仲間がいるような気持ちで文字を打っている自分がいます。
当時は正直、孤独を感じていたけど、
今は全然孤独感がない。
1人でいるのに、なぜか全体感を感じれている。
これって、自分には仲間がいるってことを実感できている証な気がするんです。
すっごくありがたい話ですし、
そして、ここで止まってるわけにもいかないなって思いますね。
まだまだゴールは遠い。
だけど、過去記事を読んで、当時の自分と今の自分を比較した時に、めちゃくちゃ前進した自分を実感できている。
目的地達成が『なんとなくできそうな気がする』境地に至っていて、
そう思えたから、きっとそうなるんじゃないかって信じてみようと思います。
根拠のない自信といえばそうなんだけど、根拠がないわけじゃない。
だってもう、孤独じゃないから。
なんかいけそうな気がします♫
・・・・随分と長くなったなぁ。
これが小野だ!
最後までお読みいただきありがとうございます。
なんだか、今回は随分と溢れんばかりの重い(想い)文章となりました(笑)
そして長い!!笑
小野の巻物いつか本になります(多分!笑)
無理のない範囲でブログ連載していきます。
次回もよろしくです!
ではまた!!!
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